その席では「世界中探しても、残ってないよ」とマンガ「レモンハート」を
引き合いにして軽く流されたはずだった。
しかし、気にし出すと止まらない物で方々の文献、業者などをあたったが、
色の良い返事は得られなかった。
ついにその年の暮れ、ヨーロッパまで調査旅行が行われた。 全員であわせて五ヶ国語を使うそうそうたるメンバーである。 本場フランスではパスティスには恵まれたが、アブサンの情報は無し。 スイスも密造酒は外国人には無理とのこと。 ベルギーでビールを飲み干し、ヨーロッパの不良の巣窟といわれる 都市まで足を伸ばしてみた。 一大貿易国で非合法品に溢れる街なら、何かあるのではないかと 期待したのだ。 商業都市だけあり、フランス語ではなく英語が自由に通じるので 情報を掴むことができた。 私たちはいくつかの連絡先を聞き出して、国際空港に向かったのだ。
年が明けてから、判明した地下エージェントと連絡を取り合ううちに 米国の業者がニガヨモギの話を口にした。 私は早速、アブサンについて説明し、知らされた業者から第三国を 経由してついに密造アブサンに逢うことが叶ったのだ。 その頃には既に梅雨も終わっていた。 熟成期間が必要との事で緑の女神は某所に密かに眠ることになった。 開栓は'00年5月と決められた。
その時の模様は筆舌に尽くし難い。私たちは今もって、これを超える アブサンに出会っていないと言えば一端でも分かっていただけるだろうか。 この一件は業界紙にも掲載され、この地でアブサン騒ぎにまで 発展したのは愉快な事件である。 今でもそのアブサンについて問い合わされることがしばしばあるが、 仲介人は×××も扱う非合法業者だったためか、現在は既に 消滅している。
さて、EUがツヨン濃度について健康基準を定め、更には 「アブサン」という名称を解禁したこと、そして新技術の導入で、 '00年は世界的に新しいアブサンが出回る年になった。 もちろん、規制は残っており、基準値の1/5という低い値である。 ツヨン分子を除去できる技術が導入されたので、 ニガヨモギの風味を残してもツヨン濃度を低く抑えられるように なったのだ。 卸商が内緒で(しかし高額で)これらの欧州新合法アブサンを 提供していただけた。 これが'00年秋の第2回アブサンパーティーの発端である。 「トレーネ」、「ハプスブルク」、「プロバンスABSENTE」などだが、 この試飲会は一同を落胆させる結果であった。 酒としては美味とは言い難い上、成分も低いツヨンと第二次大戦以後の 合成着色技術、もうあの密造アブサンの味は存在しないのか。
再びアブサン探しが始まった。 以前の旅で知り得た酒店などから更に情報を集め、高いツヨン濃度を 主張するボトルを扱う業者を発見した。 しかし、ここでも再び裏切られた。ニガヨモギエキス入り アニス酒というべきものなのだ。
しかし、諦めはしなかった。スイスからフランス、スペインへと
伝播したのと反対側へはどうなのか?
ドイツ語とロシア語を操るスタッフを得て調査を推し進めた。
そしてようやく見つかったのがソビエト崩壊による市場経済化が
進む旧東ヨーロッパ諸国である。
地理的には本来「中欧」と呼ばれアブサンの故郷スイスなどと同じ地域である。
しかも、彼等はEU加盟国ではないので輸出しない限り
EUの規制とは無関係である。
10社以上の現地業者を調査した。国内には持ち込めないので、
アメリカ圏で検査は行われた。
しかし、結果は惨澹たる物だった。業者自身の主張するスペックを
まるで満たしていないのだ。
二ヶ所だけ納得の行く業者が残った。
このことについて、説明を求めると、
(1)私有企業の合法化が始まって日が浅く、密造時代の感覚のままで
企業倫理が確立されていない。
(2)優良銘柄は非常に人気があり、流通しているかなりの物が
(特に輸出されている物のほとんどが)模造品である。
製造元と直接取引をしており、情報公開にも快く応じてくれた業者と
幾度もの交渉の末、協力を約束するに至った。
国内向けの非輸出仕様はとても楽しみである。
第3回アブサンパーティーに向けては数々の難関が続いた。 しかし、輸入業者、卸店の協力を得て、僅かだが入手にこぎつけた。 本品は最も評価の高い銘柄の一つだが、製造元自身が、 欧州向けとスタンダード品のロットを分けており(これはウィスキーでも 行われていることだ)、スタンダード品はツヨン濃度を保証している。 輸出向けは特に保証はなく、我々は強くスタンダード品を求めた。 紛らわしいのは、スタンダードも輸出仕様も全く外観が同じであることだ。 更にはウオツカを着色しただけの、イミテーション(これすら外見からは 全く区別できない)も多いのだから大変である。 日本にはツヨンの規制が無いことを説明し(これには「漢方」の国 であることを話したことが功を奏した)、ついに実現に漕ぎ着けた。 10数度を超える交渉、国際電話・FAXの日々がようやく実を結んだ。 さて、検査結果は12ppm近くと非常に良い成績であった。
流行のインターネットではとても入手が困難であろう、 真物をついに味わう時が来た。 密造に近い深い緑色、懐かしいニガヨモギの芳香、 しかしアニスと甘さを抑えた上品な味わい。 素晴らしいバランスである。 舌の上で転がすと、その柔らかさは密造品の破壊的パワーとは異なり まさしく「女神」だ、 アニスを抑えているため白濁は弱いが、人工着色されていない 落ち着いた色合いは正に東欧の宝というべきだろう。 因みに出所の怪しい同銘柄ボトル(おそらく輸出仕様)も試飲したが、 全く同じ外見ながら白濁はおろか、風味ははるかに劣る物だったことを付記しておく。
さて、インターネットにはこれ以上に規制値を超えている物が (中には理論値を超えている物すら)散見されるようになった。 その様な製品に我々が興味を覚えないはずがない。 早速その銘柄をチェックして、築いたコネクションから製造元へ 問い合わせると、驚くことに回答は「存在していない」というもの。 同業他社にも情報提供を頂いたところ、安酒のラベルを貼り替えた ニセモノだった。ことアブサンの世界では珍しくないことだ。
最後に、これからアブサン探しをしようとする諸君へ。
取扱業者が製造国に存在しているのかはまずチェックしよう。
第二にイギリスは新合法アブサンの火付け役である。期待してはならない。
第三にありえないスペックは疑ってかかるべきである。
製造元はどこも小規模のメーカーばかりで
たいていは自らは地元以外に販路を持たない。
語学力を磨き、直接問合せる根性が必要だろう。
インターネット上ではまともな製品は入手できないので、
気をつけられたい。
最後に、酒類の輸入はトラブルが多いのでプロの協力を
取り付けておくべきだろう。
懲役を求刑されてからでは遅すぎる。
メールはこちら drink@xiv.com へ